History 歴史と魅力
固定ページ 2017.10.10
塩飽(しわく)諸島とは、瀬戸内海に浮ぶ28の島々であり、香川県と岡山県の沖合いに挟まれる位置に存在しています。その塩飽の名は、「潮湧く」、「塩焼く」からきていると云われており、島々には古代の遺跡が点在し、
古くから海運の要所であることから、操船に長けた人々が住んだとされています。
戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康からその操船技術を認められ、様々な特権を許された人々が島を治めていましたが、時代は降り、それらの特権は失われてゆき、それに伴い主要産業は、海運から、漁業、船大工、採石、と多岐 多様に移り変わって来ました。
(砕石は一部の島:広島、本島、与島)
今は、かつての隆盛と比べると過疎が進む穏やかな島々となっていますが、瀬戸内芸術祭や美術館等による芸術作品によりアートの島として新たな息吹を得て多くの人に親しまれています。
その中でも、塩飽諸島の人々が今も誇りとしている業績に、幕府の船として初めて太平洋の往復を成功させた際の「咸臨丸」の水夫を幕府の勅命により35名をも輩出したことがあります。瀬戸内海の島々を縫うように流れる早く複雑な潮流と共に生きた塩飽の人々らしさが伺えます。
これから、塩飽の興味深い歴史や文化ついて随時更新にて一緒に紐解いて行きましょう。